今日は、知り合いの方に、辺土岬ダイビングに連れて行ってもらいました。
辺土岬は、沖縄の米軍占領下、篝火を炊いて、復帰行動が行われた岬です。
沖縄大学の教授だった、土田先生が亡くなられる前、辺土岬の祖国復帰碑文を確認に行きましたが、その下には、不思議な洞窟が広がっていました。
初めての場所で、写真もきれいにはとれませんでしたが、幻想的で、人もほとんど入っておらず、じっくり見ると、楽しい場所だと思います。
辺土岬の復帰闘争碑文には、次の通りの記載があります。
祖国日本は海の彼方に遠く
沖縄県民の声はむなしく消えた
われわれの闘いは蟷螂(とうろう)の斧に擬された
しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯があることを信じ全国民に呼びかけ
全世界の人々に訴えた
見よ 平和にたたずまう宜名真の里から
二七度線を断つ小船は船出し
舷々相寄り勝利を誓う大海上大海に発展したのだ
今踏まえている土こそ
辺戸区民の良心によって成る 沖天の大焚火の大地なのだ
1972年5月15日 沖縄の祖国復帰は実現した
しかし県民の平和への願いは叶えられず
日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された
しかるが故に この碑は
喜びを表明するためにあるのでもなく ましてや勝利を記念するためにあるのでもない
闘いをふり返り 大衆が信じ合い 自らの力を確かめ合い決意を新たにし合うためにこそあり
人類が永遠に生存し 生きとし生けるものが 自然の摂理の下に
生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある
昨日は、防衛大臣が基地押しつけを目的として来沖し、多くの県民が抗議行動を行いました。
歴史のなかで、常に利用される沖縄、利用し続けようとする本土。
もうすぐ、5月15日、米軍事支配を脱して、沖縄が本土に復帰した日です。
1972年復帰から、もう40年近くになってしまいます。沖縄の復帰問題や、沖縄が米軍事支配に置かれていたことすら知らない人たちがどんどん増えてきます。
きちんとした沖縄の歴史を、本土の子ども達にも引き継いでいかないといけないと思います。
日米地位協定による差別的扱い、広大な基地の押しつけ、沖縄の怒りと痛みを、真摯に受け止める政治家
は、居ないんでしょうね。 民主党幻想は、とっくの昔に消えてしまいましたが。
私のような、ひねくれ市民派が信頼を寄せることの出来る政党は、どこにもありません。