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2016年06月05日

オバマのヒロシマ訪問について。

オバマの広島訪問は、原爆投下を過去の歴史とし、日米同盟強化の 宣伝塔となった。

広島は、オバマを歓迎し、これで、原爆投下の責任はおわるのか。

ひろしまという映画のなかで、原爆症によって死の床にいる級友のまえで、本を読むシーンがある。

 原爆投下が、有色人種である、日本人に対する人種的偏見に基づいておこなわれたものであり、新兵器開発のモルモットとして使われたとのくだり を読み上げるシーンがある。

 「僕らはごめんだ 東西ドイツの青年からの手紙」 篠原正瑛(1952年)という本の引用である。

 私は、その本を入手して、はじめて、1952年当時の、ドイツの再軍備に直面する、ドイツの青年たちの苦悩をしった。

 当時の議論は、現在の議論と全く変わらない。国をおきかえれば、現代に焼き直される、不正の歴史がくりかえされている。

 本の引用をしてみた。

 原爆投下は、アジア人種に対する偏見にもとづくものであり、新兵器開発のモルモットとして利用したのであり、決してわすれてはならないし、アメリカ人は、永久に良心の呵責に向き合わなければならないことをいっている。


「 僕らはごめんだ 東西ドイツの青年からの手紙 篠原正瑛(1952年)」 から、抜粋

そこで、セイエイくん、ぼくは、ドイツ人として直言するのですが、ここで、日本人も一言 な刈るべからずと想うのです。・・・「我々日本陣だって、ヒロシマ・ナガサキのことは決してわすれていないのだ」と。 
 僕は、そして大多数のドイツの知識人たちは、こう思っているのです。
 ヒロシマ。ナガサキでは、けっきょくのところ、二十何万人かの非武装の、しかも何らの罪もない日本人が、あっさりと新兵器の「モルモット実験」につかわれてしまったのだと。そしてつまりそれは、日本人が有色人種だからというにほかならないのです。白色人種に属するぼくがこんなことをいうと、君が深いな感情を抱くかもしれませんが、むしろ、僕自身が白色人種にぞくしているからこそ、この問題のこういう点が君たちよりも、もっと本能的、直感的にはっきり理解できるのです。
 いずれにしても、この問題は、とても真珠湾やバターンなどのような、簡単なものではないはずです。
 おまけに、終戦ちかくのこと、ナチスが連合軍にたいして毒ガスをつかおうとしたとかしなかったとかで、やれハーグ億歳条約違反だとあ、やり神と人道への反逆だとかいって、ヒステリックに騒ぎ立てた国が、毒ガスどころかその何倍も、何十倍も残虐な新兵器を、しかも、何らの防衛力をもたない非戦闘員にたいしてつかったのですから、この問題にたいしては、日本のみならず世界の良識と良心も、かんたんに沈黙してしまうべきではないとおもいます。たとえアメリカ人が真珠湾とバターンとを完全に忘れることの出来る時が来るとしても、日本のそして世界の良識と良心とは、ヒロシマ・ナガサキを永久に忘れてはならないと思います。世界と人類から、神と正義が抹殺されてしまうときが来ない限り、アメリカの良心は、もしアメリカに良心があるならば、永久にヒロシマとナガサキとの現在の呵責に苦しまなければならないでしょう。

あのとき日本は、原爆を投下されなくとも、当然降伏する運命にあったのえすからね。
 これに対して、「アメリカとしては、連合軍将兵の命を、このうえ無益な犠牲にすることを避けるために、一日も早くおわらせようとして、原爆を使ったのだと。・・・」
戦闘員の生命をすくうために、二十何万人もの何らの罪もない非戦闘員、しかも多くの女や子どもを犠牲にしてもかまわないという理屈が、いったいどこを押せばでてくるのでしょう。

 ドイツが降伏してのち、ドイツの物理学者たちの 手によって完成されていた「原爆の秘密」の一切は、アメリカ軍の手によって持ち去られ、その結果、それから3ヶ月後に、ヒロシマナガサキの悲劇が生まれたのだ。

オバマのヒロシマ訪問について。



Posted by しゅんさん at 04:27│Comments(0)
 
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