普天間基地の押しつけ。
口先番長、前原外務大臣は、辺野古基地建設ができなければ、
普天間基地が固定されると発言しています。
危険が除去できないのは、辺野古基地建設に反対しているからだと、責任転嫁発言を繰り返しています。
危険な普天間基地は、まずは、閉鎖する というのが、筋 であり、危険除去は、国の責任です。
沖縄は、命を盾にしなければ、平和を手にすることもできないのでしょうか。
喜瀬武原は、米軍が県道を越えて行っていた 大砲の実弾演習の着弾地でしたが、これに反する多くの労働者が山に分け入り、着弾地に入ってのろしをあて、命を盾に その阻止をはかりました。
米軍は、人がいるのをわかっていながら、砲撃を行い、負傷者まで出ています。
海勢渡豊さんの歌です。(テレビ放送のようで、最初少し時間がかかります)
http://www.youtube.com/watch?v=3h2b_UpYxy4&feature=related
コザ暴動の写真が あります。
http://www.youtube.com/watch?v=wkDN9LAAPk0&feature=related
辺戸岬にたつ、復帰闘争の碑文です。
今一度、考えてみなくては。
特に、私たち本土出身者は、自責の念を込めて。
祖国復帰闘争碑文全国そして全世界の友人へ贈る
吹き渡る風の音に 耳を傾けよ
権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ
打ち寄せる 怒濤の響きを聞け
戦争を拒み平和と人間解放を戦う大衆の雄叫びだ
″鉄の暴風″やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は
米国占領に引き続き 1952年4月28日
サンフランシスコ「平和」条約第三条により、
屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた
米国の支配は傲慢で 県民の自由と人権を蹂躙した
祖国日本は海の彼方に遠く 沖縄県民の声は空しく消えた
我々の戦いは蟷螂の斧に擬された
しかし独立と平和を戦う世界の人々との連帯であることを信じ
全国民に呼びかけ 全世界の人々に訴えた
見よ 平和にたたずまう宜名真の里から
二十七度線を断つ小舟は船出し
舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ
今踏まえている土こそ
辺土区民の真心によって成る冲天の大焚火なのだ
一九七二年五月十五日 沖縄の祖国復帰は実現した
しかし県民の平和の願いは叶えられず
日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された
しかるが故に この碑は
喜びを表明するためにあるのでもなく
ましてや勝利を記念するためにあるのでもない
戦いをふり返り 大衆が信じ合い
自らの力を確かめ合い決意を新たにし合うためにこそあり
人類が 永遠に生存し
生きとし 生けるものが 自然の摂理の下に
生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある
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