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2012年05月19日

「復帰」40年

1972年に沖縄が本土に「復帰」して40年。

 4.28. 
   サンフランシスコ 1952年、対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効し、その第三条によって沖縄・奄美を含  む北緯二九度以南の施政権が米国に委ねられた日。

  講和条約の締結は、1951年9月8日 で、ちょうど わたしの誕生日です。
  考えてみると、わたしは、連合国の占領下で生まれています。
  わたしが復帰闘争時に高校生だったので、団塊の世代のひとたちも、皆、占領下で生まれた人たちです。

  沖縄が切り捨てられようとしたとき、「天皇メッセージ」で沖縄の売り渡しがあったり、講和条約による沖縄切り捨てに反対する沖縄あげての反対署名運動があったことを、どれだけの人が知っていのでしょうか。

 沖縄では、この日を「屈辱の日」と呼んでいますが、自民党有志などを中心に、この日を主権回復の日として祝日にしようとの動きもあります。

  日本の主権にとって、沖縄なんて、なくてもいいし、切り捨てても痛みも感じないところだったのでしょう。
  4.28 は 主権回復の日ではなく、沖縄を米軍に売り渡し、「日本」の主権を回復した日です。

 沖縄は米軍占領27年、講和条約から20年、米軍事支配下に放棄されつづけたのです。

 当時の政府は、国会で、沖縄には、日本の潜在的主権が及んでいる。とのべていますが、今の沖縄を見れば、
 主権とは、本土のために利用できる範囲での主権にすぎないことがわかります。

 米軍が、軍事支配下で 
       「軍政府はネコで沖縄はネズミ。ネズミはネコが許す範囲でしか遊べない」 
  琉球政府の自治を神話であるとしたのと、何がちがうのでしょうか。

 5,15  復帰から40年。

   本土から来た人たちも、復帰前を知らない人たちが増えてきました。
   沖縄が 海と空 としか認識できない人たちが増えていますし、沖縄を、東京と神奈川の違い程度しか認識しない人が
   ほとんどでしょう。その海と空で、沖縄の人たちが、どのような苦しみを持ち続けているのか。

   沖縄に基地が有る限り、沖縄のことは、沖縄のひとたち自らが発言をすべきだと思います。
   本土の人間は、沖縄に犠牲を強いてきた人間であり、沖縄を代弁することはできないと考えます。

   高校時代、「帝国主義本国の人民の責任」 といったことがよく言われていました。 沖縄に対する日本本土の人間の責任 と言い換えてもいいと思います。

 わたしの母が被爆者で、被爆問題をライフワークにしたいと思っていました。そのためには、沖縄のことを知らなければならないという思いから、3年間沖縄を学んで、広島に帰りたいと思っていました。

 その後、いろんなことがあって、いつの間にか、沖縄生活も28年になってしまいました。
 妻も宮古出身で こども3人も沖縄の子です。

 それでもやっぱり、わたしは、沖縄に犠牲を強い続けている、本土の人間であり、沖縄から批判されるべき対象でありつづけなければならないと考えています。

 でも、帝国主義本国人民 といっていた人たちは、いつのまに、これを放棄してしまいましたが。

 
「復帰」40年

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Posted by しゅんさん at 22:09│Comments(0)
 
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