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2012年06月23日

慰霊の日

< 今日は慰霊の日だが、仕事で、バタバタ。

 20年以上前、慰霊の日を沖縄県独自の休日とすることができるのか、議論があったが、
 休日として維持された。

 「慰霊の日」といっても、6月23日(22日という説もあるようだが、) その日は、
第32軍司令官牛島満大将(当時は中将)をはじめとする司令部が自決し、皇軍の組織的抵抗が終わった日にすぎない。
 
 沖縄守備軍の降伏調印は、日本の敗戦日である8月15日から、さらに20日以上経過した9月7日に嘉手納で行われた。
 これとて、皇軍による敗戦手続きが完了したにすぎず、戦争にひきづり込まれた住民の「戦争」は終わっていない。


 慰霊の日に来沖した 野田総理 の発言は許せない。

 彼は、太田海軍司令官の電報文を引用した。

 「 沖縄県民斯ク戦ヘリ

  県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

 「 沖縄県民は、天皇、皇軍のために戦闘協力したので、特別の配慮をするように」。という趣旨である。

  沖縄の人々は、皇軍の戦闘に巻き込まれ、天皇制延命のための捨て石とされた。
  少年から高齢者まで根こそぎ動員によって、家族を失い、命を失った。
  沖縄の民衆は、戦争犠牲者であり、被害者である。
  それを戦闘協力者として、皇軍に取り込もうとする議論である。

  戦前の価値観からすれば、太田司令官の良心であったかもしれないが、
   すでに沖縄戦の検証がなされている今日において
   戦後、天皇メッセージによって沖縄が米軍事支配下に遺棄され、復帰後は、相変わらず 米軍基地を押しつけられ続け  る沖縄に対して、この言葉は、日本のためにさらに犠牲を負担しろ、負担すれば、配慮してやるという、実に尊大な発言   と受け止めざるを得ない。

   また、このような考え方は、皇軍と県民が一体となって戦闘に協力したというのであり、これまでの歴史教育を「自虐史   観」と称して攻撃し、侵略戦争を正当化しようとする考えと同一の立場にたってしまうものである。

   
 海勢頭さんの 月桃の花 、思いを込めた 話もされています。

    http://www.youtube.com/watch?v=tdTBKvXtD_k
    

  オスプレイ 配備反対の声は、県内に大きく広がっていますが、県道越え実弾演習も、様々な運動の中で実現していま     す。
 着弾地に入り込み、身を挺して実弾演習を阻止した人達を歌った歌がアップされていました。
    
 海勢頭さん、まだ若い 
  
  http://www.youtube.com/watch?v=3h2b_UpYxy4

  海勢頭さんの、公式ホームページです。 
  
  http://www5b.biglobe.ne.jp/~ai90125/   

  慰霊の日                           


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Posted by しゅんさん at 21:38│Comments(0)その他
 
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