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2011年06月23日

慰霊の日

 今日6月23日は、沖縄戦犠牲者を慰霊する、慰霊の日で、沖縄県は、学校も休日です。

 6月23日は、沖縄だけの休日で、その法的根拠が問題となり、休日の維持を求める運動もありました。
 沖縄だけが休日だと、公的証明等で不利益を与えないか等の議論がありましたが、県民の想いが、休日の維持として実現したものです。
 ただ、6月23日が慰霊の日として適切だったのかの議論も広がりました。その日は、沖縄32軍司令官牛島満中将が自死した日であり、その後も摩文仁方面に追いつめられた沖縄住民は、極限の死を強制されていったのです。
 沖縄では、一般住民が、準軍属として、戦傷病者等援護法の対象となっています。その中には、皇軍によって避難壕から追い出されて死亡した住民、集団死を強制された住民、スパイ嫌疑によって皇軍に惨殺された住民までも、準軍属に含まれています。
 準軍属とは、兵隊と同じように、国との雇用解約関係に準じる関係があったというのであり、戦闘協力者であることを意味します。
 しかし、避難壕を追い出されたり、スパイ嫌疑で惨殺された住民の無念さを思うとき、このような人たちを、戦闘協力者 として取り込んでしまうことに、大きな怒りすら感じます。

 戦後、米軍事支配におかれたのは沖縄だけではありませんでした。沖縄、奄美群島、小笠原群島がいずれも米軍事支配下に置かれました。

 奄美群島   1953年12月25日
 小笠原群島  1968年6月26日
 沖縄      1972年5月15日

 に復帰するまで、米軍事支配下におかれたのですが、沖縄は、いまだ、米軍事基地の被害から解放されることはありません、それどころか、復帰したはずの日本政府から、新たな基地強制が繰り返されています。

 奄美は、以前、数年間裁判で通いました。奄美に住み着いた人たちが、旧住民からの いじめ にあって子ども達も学校に行けなくなり、自由学校をつくって、不登校を続けたことがありました。

 今年の夏は、小笠原に行ってきます。世界遺産に登録されるそうですし、父島 の海と自然を見るとともに、戦争の跡も見てきたいと思っています。

 最近、気になるのは、多くの本土出身の弁護士が沖縄に来るようになっていますが、沖縄の実相を知らないし、知ろうとしないことです。沖縄修習がはじまったころは、4名でしたから、弁護修習で、基地と、戦跡(避難壕)を見に行きました。私も何度か同行しました。

 沖縄が、本土と分断され、米軍事支配下に置かれていた歴史があったことすら自覚していないのではないかと思ってしまいます。
 沖縄の自然を愛し、ダイビングに親しむのも良いけれど、沖縄で生きる限り、沖縄の歴史を学ぶべき責任があると思います。

 とはいえ、小笠原 父島も、「ダビング三昧」というツアーですから、たいそうなこと はいえませんが。

 
 
 


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Posted by しゅんさん at 02:12│Comments(0)その他
 
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